ギリシャの神々は人に情熱を与えた。ミノスとパジファエの娘、そしてミノタウロスの姉であるフェードルは、その情熱と欲望にのみ苦悩したのではないだろうか。
ところが数千年の時を経て、ネプチューンの名を唱えながらそこに唯一神の面影を観る男によって描かれたフェードルは、情熱と義務とのはざまで苦悩する。
義務とは何か。
エノーヌはしきりにその立場を説く。妻として貞淑であれ、母として子を守り、妃として妨害するものを排除せよと。
エノーヌは、宮廷に仕えるあまたの女性の中でも頂点である妃の側近という己の立場から、妃を守り、国を治めるために策を巡らす。
多少の詭弁にひるむことなかれ。
全てはあなたのお立場を守らんがため。
お立場を守ることがあなたの命をお救いする。
そう信じて疑わない。
それが真実であるならば、なぜエノーヌは捨てられた。
立場とは何か。
それは人が人の世の掟として決めたもの。
それでは、神が人に与えた義務とは何か。
恋という情熱はときに人の手に負えぬほど激しく、人の心を覆い尽くし、神の名を呼びながらその神が示す道から遠のかせる。
恋をしてその人を愛おしく思うのならば、そのとき神が示す義務は愛しい人の幸福を願い、それに尽くすことだろう。
イポリットは恋をした。
誠実な彼は、愛しい人の自由と幸福を願った。ところがそこに魔が差す。権力を手に入れる機会が現れる。愛しい人とともに権力をこの手につかめるかもしれない。
愛しい人アリシーは、イポリットに恋をした。そして自由と権力と美しく誠実な恋人を手に入れることを願った。
イポリットに恋をしたフェードルは、その強すぎる情熱に戸惑い、自分の幸福に怯え、愛しい人の幸福におののいた。不安に駆られる心は、エノーヌにそそのかされ、自らが仕掛けた罠に絡め取られ傷が深くなっていく。
情熱と義務の対立は、ネプチューンの神が思し召したことではない。
ただ人がそう解釈し、信じ、その身を投じたにすぎない。
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