空という照明はそう簡単に暗転しない。劇場と違って「さあ始まるぞ」と心構えができないまま、演劇が始まる。俳優は浜に立ち、観客は浜に座る。ただそれだけの違い。心構えなど不要であった。俳優が台詞を発した瞬間、私は王族に仕える使用人か奴隷か何かとなり、靴を砂まみれにしながら話を傍観していた。
私には、雲の上の存在である王様方の色恋沙汰はさっぱり理解できない。神に選ばれし人間としてこの世に生を受けていれば、ちょいとばかりはかかわりがあるかもしれないのだが。まあ、そんな私も色恋沙汰に興味がないわけではない。私にだって恋い慕う人の一人や二人いる。嘘。一人だけ。フェードル様はイボリットさまのこととなると、まさしく恋する乙女。エノーヌ様と繰り広げるガールズトークは、見ていて、聞いていて、なんだか私も心躍ってくる。しかし、フェードル様の恋のお相手はイボリット様。血のつながりのない、義理の息子。血のつながりがないからこそ恋してしまったのだろうか。親子という、穢れてはいけない神聖な繋がりにあるからこそ、逆に恋に燃え盛るのだろうか。エノーヌ様やその他大勢が反対するから、その心の炎はより勢いを増すのだろうか。燃えるたいまつから放たれる黒い煙のにおいが、人の情欲の生々しさを感じさせる。きれいとか汚いとかではない、肉欲のもつ強さ。煙がそのにおいを強めるごとに、より欲望も強くなっていく。
たいまつの向こう側で繰り広げられる世界は歪んでいた。人も、波も、空も、手でグジャグジャにされたみたいに歪み、形を保たない。世界はふわふわして、ゆらゆらして、本当にそこにあるのかどうか分からなくなってくる。自分は本当にここに座っているのか、起きているのか、眼を開いているのか…自らの心さえあるのかないのか。心を支配しているのかされているのか。この気持ちは恋なのか欲なのか。炎のなかに自分がいるようで、いないようで、生きているようで、死んでいるようで。自分はいてもいなくても、どうでも良いようで、良くないようで。炎すら存在しているようで、していないようで。
目の前が乱れてきた。波が迫り、砂が飛び散り、怒号が飛び交っている。空が暗くなる。炎はより一層赤みを帯び、空から垂れたインクが海を黒く染めていく。迷いだろうか。怒りだろうか。みな、誰かに話しているようで、自分に言い聞かせているようにも見える。心の内を外に出し、それを聞き、また心に戻す。何度も何度も、心臓に焼き印をしていく。人と人がぶつかる。欲と欲がぶつかり、混ざりあい、音を濃くしていく。
恋敵を殺す。恋敵は邪魔以外の何物でもない。これは絶対に確かなことである。邪魔で邪魔で邪魔で仕方がない。その人間さえいなければ、という底知れぬ渇望。自分にとって恋敵は完全なる悪。地獄からの使者。疫病神の化身。人類史上最も忌み嫌われるべき闇。今、ここに好きな人はいない。では、どこにいるのだろう?もしかしたら、恋敵と会っているのかもしれない。恋敵と談笑し、食事をしているかもしれない。その恋敵は最低最悪の人間であることに、なぜ気付かない!!!もはや人間ですらない。ゴミ同然の存在である。もしばったり会ったらどうしてくれようか。呪詛の歌をうたいながら、爪を剥ぎ、わき腹を刺し、のたうち回り、泣き叫んでいる悲しい口元をこじ開け、熱した鉄棒でも突っ込んでくれようか。もしくは、意識がある状態で丸太か何かにしばりつけ、身動きがとれないところを足元から輪切りにしてくれようか。いずれにせよ、奴には痛い目をみてもらわねばなるまい。身体的にも精神的にも。しかしどれほど奴の苦痛を肴に飲み食いしたところで、私の気はおさまらない。もっと、もっと。さらなる苦痛を。宇宙が破滅するほどの痛みを。神がおそれおののくほど狂った燃えカスと化せ。骨の髄まで焼き尽くされろ。なぜ私でなく奴なのか。私には何が足りないのか。知りたくても知ることができない。聞くことができない。勇気が出ない…いつもそうだ。私は愛される権利を持ち合わせてはいないのだろうか。あの人のときも、あの人のときも。いつも私は失敗している。見向きもされていなかったり、大した存在でなかったり。何が原因なのだろうか。よくよく考えてみると、私は愛情表現というものがよく分からない。一番身近だった父と母の間で、愛情表現というものは皆無だった。人を愛するとき、自分はどう動くべきかが分からない。自分が情けない。そんな自分にも怒りが湧く。「いい人」とは、好かれる人のことを指すのではないことが、最近になってようやく理解できた気がする。「いい人」の「いい」に含まれるのは、「良い」ではない。そんな意味は少しも含まれていない。いてもいなくでも変わらない、街中に転がっている石ころと同然の存在であるという意味だ。たまに便利に使えるからいっか。という意味も少し含まれる。人間としての魅力も面白味も色気も生気も何もかもがひとかけらもないから、他に形容する言葉がないのだ。だから、とりあえず「いい」と言っておけばよいだろうという程度。自分でも笑えてくる。どうしてこんな人生になってしまったのか。どこで道を踏み外したのか。決して率先して「いい人」であろうとしているのでは決してない。気付いたら、いつのまにか「いい人」「いい奴」と呼ばれているのだ。「いい人」のまま一生を終えるのは嫌だ。一度でいいから、愛されるということを経験してみたい。お互いに愛し合うことの幸せを感じてみたい…と、炎の中で私はぼうっと考えた。倒れたたいまつから飛び散った油が腕についた。太い針で突き刺されたような痛みが右腕を走り回る。右腕の筋肉が全て飛び起き、苦悶に満ちた表情の赤血球が駆け回る。一瞬聞こえたジュッという音が、なんだか、最後に振り絞った命が必死に腕に喰らいついていることをはっきりと私の腕に刻みつけた。
フェードルが叫んで、入水した。暗い、暗い、不気味な海にその身を委ねた。彼女はこの瞬間が幸せの絶頂だったのだろう。叶わぬ恋だったかもしれない。けれども、やはりイボリットのことが好きで好きでたまらないのだ。誰が何を言ったところで、その気持ちに影が差すことはなかったのだろう。恋心に全てを支配されるぐらい人を愛したフェードルは尊敬に値する。私もそんな風に死にたい。
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