ひとつひとつ、できることから。自分でやれば、なにか見えてくる…
修一さんの言葉が印象に残りました。
映画では修一さんの死後に、彼の最後の仕事である山のサナーレ・クリニックについてが取り上げられ、構想のスケッチブックには、そこで過ごすひとたちの暮らしが、すでに生き生きと描かれているよう。毎日お手紙を書くのも、コツコツ、だれかについて考えること、そして喜ばせることになるのだろうな、と思います
いろいろ考えてしまって落ち込む時は、手を動かして何かをすると頭がすっきりするなあ、ということを考えながら観ていました。そういう話じゃないかな、どうかな!
くりかえし引用される建築家のことば、”家はくらしの宝箱でなくてはならない”。さいきん、”丁寧な暮らし”のラベルはあちこちに溢れているけど、流行りとしての丁寧な暮らしは、その目的と正反対だなあ、と思うきょうこのごろです。でも、その丁寧な暮らしが流行ること、それが津端夫妻のようなひとたちの積み重ねてきたもののおかげなのかも、とも思っています。なんにせよ注意深く消費したり・しなかったりしたいよね!
ちなみに、映画を観たあと木さじでさくらんぼのジャムを作って、雑木林の中のお家に思いを馳せました。
(丁寧な暮らし民を意識して)
0 件のコメント:
コメントを投稿