2017年5月23日火曜日
くじら唄をききに
動物の季節の感覚ってどんな感じなんだろう。水温とかでそろそろ向こう行こうかな、みたいな感じなんだろうか。
大きな生き物が、遠い海から長い旅をしてやってくることを想像するとすごくドキドキしてしまう。自分がなにかおおきなものの一部だという感覚が気持ちいいのだろうか。それって合一への求心力みたいで茫とした気分になる。それとも、むしろほんらいの、みんなの一部である自分・個人でない自分に気づくから気持ちいいのだろうか。
クジラ獲りのひとたちは、海の士とと書いてアマと読む。つまり海の男である。海女もいたけれど、それは一部の地域でいたらしいと聞いたことがある、というくらいの話らしい。
資料館の受付のお姉さんは、鯨捕りを演じたい野放図な若者たちが来ると聞かされていたらしく、わたしを見て「たぶん女の人が出たら初めてですよ!」とのこと。じつは、わたしはあまりくじらのことには興味なかったのだが、お姉さんに言われてちょっと出たくなってしまった。調子良すぎ。
また、高いところからクジラを見て狼煙をあげるなどするところはハチ獲りと似ているなと思い親近感が湧いて、こころ躍る気持ちである。
くじら館に入ると、館長じきじきの解説。展示物の裏話・詳しい話をしてもらった。かっこいいくじら唄の写真はあるけど、それは撮影用の演奏風景なんだって…。また、使う網の技術革新や、漁民ではなく武将のようなひとたちが始めたという話、商人が賭けのようにたくさんの人を雇い、鯨捕りを主催していたという話もあった。
わたしは、ハチが飛ぶのを待っているあいだはかなりつまらないと思うし、堪らなく飽きているんだけど、蜂とりの場合は自分から動いて見えそうな場所を移動できる。しかし山見はそうもいかないので、どうやって耐えていたのだろうと考えている。やはり自分が見つけたときのお手柄感がいいのだろうか。
ひととおり話が終わったあとは、お待ちかねのくじら唄。
くじら館の展示室は不思議なくらい響きがよい。
そして、何を言っているのかはまったくわからなかった…。
館長曰く、その代その代で歌詞や歌い方は変わっていくとのことであった。
館長の声は芯のある力強い声で、どうしてこんな声がでるのだろうと思う。なんて言っていいかわからない。これを何人もの合唱にしたときはどれだけかっこいいのだろう!
やっぱり海も山もわくわくする。
ちなみに;湯本温泉、改修して建物変わっちゃうらしいよ。
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